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クリエーターたちのDNAニッポンアニメ100年史NHK放送を見ての感想

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クリエーターたちのDNAニッポンアニメ100年史

日本のアニメが出来て100年になるんです
アニメクリエーターも子どもの頃見たアニメ作品に感動してその道に入り、その技術を引き継ぎ進化をしてきたという内容
現在活躍中の著名な監督がどの作品、誰に影響を受けたかとても興味深い内容です
当時はアニメも工業製品と同じでアメリカが最先端で日本は大きく遅れいたのです
それが今では自動車と同じでアメリカを追い越し世界一に
作品も知らないのもから、再放送で見たもの等懐かしいいものまで
 

番組内容

初期の言い方
テレビアニメはテレビまんが
アニメ映画はまんが映画
アニメもまんがと言われていたのです
 
1977年頃からアニメと言われるようになった
 
現在までにアニメブームが4回
第1次アニメブーム1963〜1968年
第2次1977〜1984年
第3次1992〜1998年
第4次2012〜
現在の代表作として君の名は2016年公開
興行収入邦画歴代第2位の224億円
アニメも現在では特別なものではなく1つの作品として受け入れられている
 
1917年に日本で初めてアニメが制作される
(今から丁度100年前)
 
1943年に日本で初めてセルアニメが作成される
童話原作の作品「くもとちゅうりっぷ」監督政岡憲三
太平洋戦争の真っ只中でも制作された
しかし多くは国威発揚のものだった
「桃太郎の海鷲」瀬尾光世
制作依頼は海軍省
桃太郎が真珠湾を鬼ヶ島と見立て攻撃する物語
このアニメを幼い頃に見てアニメーション業界を目指したのが小田部羊一
以下の作品のキャラクターの生みの親
アルプスの少女ハイジ1974
フランダースの犬1975
母を訪ねて三千里1976
 
1945年に戦争が終わる
規制されていた映画が次々と公開される
日本人に衝撃を与えたのがアメリカ映画
中でも最先端技術で作られたディズニー作品が子供達をとりこにした
 
大川博
東洋のディズニーを目指しアニメーション制作に乗り出す
1956年東映動画を設立
機材はディズニーと同じものを国内で造らせた
それまで小規模で作っていたものを一新
100人を超えるスタッフを雇い大規模な制作システムを築く
鈴木ギサブロー
創業期の同社に入社
当時はアメリカと制作方法に大きな差があった
アメリカと同じ環境でアニメ制作が出来る環境に衝撃を受けた
後の作品
タッチ1985
銀河鉄道の夜1985
 
東映動画は1958年に日本初の長編カラーアニメ「白蛇伝」を公開
小田部羊一の感想
波の動きが印象的だった
その後波のシーンを任される事が多かった
波の資料が欲しかった、写真でもフィルムでも何でも良い
しかしその当時はそういう資料が一切無かった
だから夏には海水浴では泳がずにずっと波を見ていたというエピソード
 
1963年手塚治の鉄腕アトムテレビ放送開始
国内初の連続テレビアニメ(モノクロ)
最高視聴率40%以上の大ヒット
漫画家手塚治虫原作
他の代表作
火の鳥
ブラックジャック
戦時中に見た「くもとちゅうりっぷ」などに影響を受ける
1961年虫プロダクションを設立し積極的にアニメーションの制作に取り組む
自らの手でアトムをアニメ化した
 
これをきっかけに映画からテレビの時代に突入
その当時、専属アシスタントだったのが笹川ひろし
後の作品
タイムボカン1975
ヤッターマン1977
手塚治は連載漫画が沢山あったにも関わらずよくアニメーションの現場にでかけていた
漫画もアニメも意欲的だった
 
杉井ギサブロー
1961年に東映から虫プロに移籍
驚いた事
漫画をテレビ向けにアニメーション化する手塚治虫は独特のやり方だった
絵が動かない
口だけがパクパク動いているだけだった
動かないんですか?と聞いたら人が話すときは体は動かさなくていいでしょう
一見すると手抜きでちゃちに思える
しかしそれは絵を動かさなくても子供達は物語が面白ければ見てくれるという絶対的な自信があったのだろう
30分の作品を毎週作ることはクリエイターには初めての経験だった
 
富野由悠季
アトムの制作に参加しキャリアをスタート
後の作品
ザンボット3 1977
ガンダム1979
イデオン1980
ダンバイン1983
エルガイム1984
虫プロがリミテッドアニメを発明した
作画枚数を減らし制作作業を効率化したアニメ作品
映画制作から考えると許しがたい発想である
しかし週一で作るのにはこの方法しかないとういうのは本能的にはわかった
 
当時はSFアニメが主流
鉄腕アトムアトム1963
鉄人28号1963
エイトマン1963
 
その後ギャグアニメというジャンルが出来る
オバケのQ太郎1965
 
その後作品の多様化が加速
 
女の子向け
魔法使いサリー1966
 
スポ根
巨人の星1968
アタックNo.1 1969
 
妖怪もの
ゲゲゲの鬼太郎1968
妖怪人間ベム1968
 
寺本幸代
1960年代のアニメを見てアニメのクリエイターになった
その後の作品
映画ドラえもんのび太のひみつ道具博物館2013
怪盗ジョーカー2014
高校生の頃に忍風カムイ外伝の再放送を見た
オリジナルは1969年
第1話の冒頭のシーン
真っ暗な中に目だけ開く
そして顔が映りその後のカメラを引いていく
当時かっこよく見え演出の仕事の面白さを知る
これがきっかけになる
 
太陽の王子ホルスの大冒険1968
監督高畑勲
場面設定、原画宮崎駿
作画監督大塚康生
他には未来少年コナン
この作品を見直し学んだのが佐藤順一
後の作品
セーラームーン1992
ケロロ軍曹2004
 
受け継がれていくアニメのDNA
 
鉄腕アトムの放送開始がテレビ向けアニメを作った
それまでは映画だった
映画は予算も時間も豊富
一方テレビは予算も少なく時間もない
そのため知恵を絞って今のアニメの原型を固めた
1週間で30分作品を作るのはとても大変な作業だった
省力化が必要
リミテッドアニメ
2コマ同じ画を使う
1秒に24コマ使うので12枚で済む
更に3枚同じ画を使うと8枚で済む
バンク
他のカットで流用する為に保存されているセル画
 
1960年代の後半はアニメが下火になる
競合として特撮番組があった
ウルトラマン1966年放送開始
スポンサーの倒産もあった
 
1970年代
科学忍者隊ガッチャマン1972
アクションとシリアスなストーリーでヒット
制作竜の子プロダクション(1962年設立)
設立者吉田竜夫
マッハGoGoGo1967
科学忍者隊ガッチャマン1972
新造人間キャシャーン1973
タイムボカン1975
ヤッターマン1977
笹川ひろし
手塚治虫の漫画アシストから竜の子プロダクションに移籍(入社)1962年
漫画からアニメーション制作に
アクションからドラマ性迄、他の作品(特撮、映画、ドラマ)に負けないアニメ作品を作り出したのが竜の子プロダクション
 
竜の子プロダクションの作品を見ていたのが押井守
竜の子プロダクションに入社
後の作品
うる星やつら1981
機動警察パトレイバー1988
攻殼機動隊1995
 
ガッチャマンと同じ年に放送開始したのがマジンガーZ1972年
これをきっかけに巨大ロボットアニメブームが起きる
これは現在迄続いている
マジンガーZ 1972
勇者ライディーン1975
コンバトラーV1976
ボルテスV1977
ザンボット3 1977
 
海外の児童文学を原作とした作品も登場し感動作で人気に
世界名作アニメ
アルプスの少女ハイジ1974
フランダースの犬1975
母をたずねて三千里1976
あらいぐまラスカル1977
 
女の子向けが全盛期を迎える(1966年の魔法使いサリーから始まる)
ひみつのアッコちゃん1969
キャンディキャンディ1976
花の子ルンルン1979
 
1974年アニメの金字塔が打ち立てられる
宇宙戦艦ヤマト
最初の放送では視聴率は低く打ち切りになる
その後アニメファンから人気が沸騰
1977年劇場版宇宙戦艦ヤマト公開
これをきっかけに一大アニメブームが起きる
ブームに拍車をかけたのがアニメ誌の創刊があった
制作の舞台裏やクリエーター等の情報を供給
アニメを一つの文化へと形作った
テレビまんが、まんが映画と呼ばれていたものがアニメと呼ばれだしたのもこの頃
 
庵野秀明
中学2年にヤマトを見る
戦記物、戦艦、SF、空想科学、人間ドラマが好きだったのでヤマトはその集大成だった
子供向けの部分が全く無くハマった
後の作品
トップをねらえ!1988
ふしぎの生みの親ナディア1990
新世紀エヴァンゲリオン1995
 
当時のアニメブームの牽引者の1人が出崎統
独自の表現や演出が特徴で出崎演出と呼ばれその後数多くの作品で模倣される
作品
あしたのジョー1970年(出崎統の出世作)
エースをねらえ!1973
ガンバの冒険1975
宝島1978
 
いしづかあつこ
後の作品
蜘蛛の糸
地獄変2009
ノーゲームノーライフ2014
出崎統の演出に影響を受ける
あしたのジョーで3回クイックパン
止まった画で3回同じシーンを繰り返す
アッパーのシーン等
この演出が印象的だった
 
劇場版エースをねらえ!1979
出崎統の最高傑作と呼ばれている
出崎統演出の集大成
庵野秀明もベタ褒め
映画らしい作り
冒頭の五右衛門(飼い猫)のシーンを絶賛
雨の日は五右衛門蹴飛ばすの台詞、そして本当に蹴飛ばす
その後にエースをねらえ!のタイトルが表示されオープニングが始まる
これが気持ち良く映画だなーと思う
この演出が素晴らしい
 
押井守
テレビアニメーションをいかにしたら映画になるか
当時は切実なテーマだった
劇場版エースをねらえ!を何回も見た
時間の流れが違う
印象に残ったのが試合の時に頭上をヘリコプターが通過していく
異なる時間と空間
うる星やつら2ビューティフルドリーマーはそれを目指して作った
1984年公開
 
1979年機動戦士ガンダム
ロボットアニメの定番、悪を退治するから脱却
若者が共感出来る青春群像劇として多くに人の心をとらえる
 
長井龍雪
作品
あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない2011
心が叫びたがってるんんだ2015
機動戦士ガンダム鉄血のオルフィンズ2015
ガンダムは子供に優しくない作りが子供心にかっこよく見えた
 
荒木哲郎
作品
進撃の巨人2013
甲鉄城のカバネリ2016
ガンダムはメカアクションものである以上に人間の真実に迫る作品に惹かれる
 
富野由悠季
ガンダム制作当時を語る
巨大ロボットと人間を1ショットで描くのはとてもめんどくさい事
それを作り上げるのは大変だった
今はそれができているので今のクリーエターは楽で羨ましい
 
同じ年1979年映画ルパン三世カリオストロの城公開
宮崎駿が映画で初監督の作品
 
鶴巻和哉
作品
フリクリ2000
トップをねらえ2!2004
エヴァンゲリヲン新劇場版破2009
原点はカリオストロの城にある
地下水路の侵入が印象的
どうやって水を描くと水っぽく見えアニメーションとして動かしやすいかを作った
水の表現は難しい
自分がアニメーターになって描いてみてよくわかる
最初は真似をするが、どうしてこの描き方かを考えると
最初に思いついてデザインして作った事の凄さがわかる
 
ハイジは重要な作品
1つはスタジオジブリのルーツ
日本のアニメの作り方に影響を与えている
ロケハン(ロケーション・ハンティング)をした
アニメで初の海外ロケハンをした
アルプスの村で人々の暮らしを取材
資料も集めた
当時日本にはアルプスの資料は無かった
1974年ハイジが1つのルーツ
 
1979年のガンダムは意図的に中高生向けに作った
これからアニメブームの年齢層が上振れしていく
1981年で年間30本のアニメ作品中5本が中高生向け
1983年は一番年齢層が上振れした時期で40本中20本が中高生向け
ラブコメやロボットものもガンダム系のシリアス
ロボットものは1982年のマクロスを最後に視聴率も下がり玩具も売れなくなった
 
そしてテレビアニメの再編期が始まる
アニメはやはり子供向けの認識になっていく
Dr.スランプアラレちゃん1981
漫画原作の子供向けが席巻
キャプテン翼1983
キン肉マン1983
ドラゴンボール1986
 
子供向け
あさりちゃん1982
がんばれ!キッカーズ1986
あんみつ姫1986
ビックリマン1987
つるピカハゲ丸君1988
 
この時期はテレビアニメは子供向けのみで、今迄ファンだった大学生以上は物足りなくなる
そこで大人向けにはOVA(オリジナルビデオアニメ)が出来る
ビデオ販売かレンタルのみ
テレビ放送ではないので表現が過激だったりマニアックにできるメリットがある
1988年機動警察パトレイバーはOVAから始まりその後人気になり映画化となった
 
80年代後半から90年代は子供向けはテレビ、大人向けはOVAとなっていた
 
80年代半ば、作家性が高い作品が次々と生まれアニメの監督が注目される
大友克洋
押井守
庵野秀明
宮崎駿
 
大友克洋
漫画家
自分の漫画をアニメ化した
映画AKIRAの制作費は当時としては破格の10億円
クオリティが高く海外でも絶賛
AKIRA1988
スチームボーイ2004
SHORT PEACE2013
 
寺本幸代
大友克洋のAKIRAに影響を受ける
正確で緻密に描写されている
 
1990年代
美少女戦士セーラームーン1992が大ヒット、子供とマニアにウケた
監督佐藤順一
ファンには庵野秀明もいた
劇場版を手伝っている
エヴァンゲリヲンの声優はセーラームーンの声優を使っている
 
1995年
エヴァンゲリヲン
斬新な設定や映像、人間の内面に踏み込んだストーリーが反響を呼び社会現象に
 
長井龍雪
以前はアニメが好きだということはおおっぴらにはできなかった
しかしエヴァンゲリヲンだったら好きと言っても恥ずかしくないという価値観の変化があったと思う
 
その2年後
1997年映画もののけ姫が公開
監督宮崎駿
邦画興行収入の最高記録を塗り替えた
 
深夜アニメ1996年開始
エヴァンゲリヲンの再放送で視聴率5〜6%
深夜なので2%で合格とされていたので驚異的な数値
これを機に1998年から深夜アニメに力を入れるようになり現在も続く
 
2001年千と千尋の神隠しがアメリカのアカデミー賞長編アニメーション賞を獲得
海外でも日本のアニメは高く評価され、影響を受けているクリエーターも多い
 
現在
2016年劇場版名探偵コナン純黒の悪夢
興行収入63億円
コナン映画シリーズ最高記録
 
2016年映画ドラえもん新のび太の日本誕生
興行収入41億円
ドラえもん映画シリーズ最高記録
 
君の名は
 
現在ではアニメを見る世代の最高が50代後半となっている
庵野秀明と同世代
アニメを抵抗なく見た最初の世代
今の20代以下はアニメの意識もなく映像作品の1つとしてアニメがある
 
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番組を見ての感想

宇宙戦艦ヤマト
当時小学生だった私もどっぷりはまりました
 
機動戦士ガンダム
当時小学生高学年で夢中になりました
ガンダムもヤマトと同じでオリジナル放送は人気がイマイチでしたが再放送で人気に
私はオリジナル放送を見ていてその面白さにはまり多くの友達は再放送でハマっており温度差を感じた記憶があります
年齢がドンピシャだったこともあり見てすぐに今までのロボットアニメと明らかに違う作りにはまったことをよく覚えています
悪役と正義の味方ではない作り
地球連邦軍とジオン軍という2つの軍の戦争
時代背景設定も人口が増え宇宙にスペースコロニーを作り移住
それが地球とスペースノイドとの戦争に
とてもリアルで子供だましではない現実的な設定
ロボットも兵器としてミノフスキー粒子でレーダーが使えないので近接戦闘が必要との必要性ももたせている
戦車や戦闘機と同じ扱いのロボット(モビルスーツ)で量産型
玩具ありきのデザインなので変形合体が必須の要求でのコアファイターを入れたデザインのガンダム
これも見ている当時でも理解しており要らない設定で子供じみてると思っていました
しかしその制約の中で出来る限りのリアリティーを持たせ脱出用の設定
頑張ったなとは思います
登場人物も時系列で成長していく様も見ていて面白かった
 
ハイジを始めとする世界名作劇場
古くはムーミン
山ねずみロッキーチャック
アルプスの少女ハイジ
フタンダースの犬
母をたずねて三千里
あらいぐまラスカル
赤毛のアン
トムソーヤの冒険
家族ロビンソン漂流記不思議な島のフローネ
見たのはここまで
中でも好きだったのは
ロッキーチャック
ハイジ
ラスカル
赤毛のアン
 
ガンバの冒険も好きでした
 
スポ根ものでは
巨人の星
あしたのジョー
エースをねらえ!
何と言ってもあしたのジョーは傑作ですね
 
白土三平の忍者ものも好きでした
サスケ
カムイ
 
手塚治虫作品
ジャングル大帝
リボンの騎士
ふしぎなメルモ
これは手塚作品とすぐにわかります
悟空の大冒険
海のトリトン
ミクロイドS
これも手塚作品だったんです
 
松本零士
銀河鉄道999
 
釣りキチ三平
当時は釣りブームになりやっていました
 
天才バカボン
オバQ
ど根性ガエル
ルパン三世
ルパンは初回放送が好きでハードボイルドなところに憧れました
マッハGoGoGo
はじめ人間ギャートルズ
原始人の話でマンモスの肉を食べたり、猿から酒を作ったりのギャグアニメで面白かった
 
古い作品もありますが当時は再放送が頻繁に行われていました
 
マジンガーZ
デビルマン
キューティーハニー
永井豪のちょっとエッチ系ははまりました(笑)
 
5歳上の姉がいたこともあり女の子向けも見ていました
裏番組が無かったり私が小学低学年の頃までは良かったですが
年齢が上がるにつれ男向けに興味を持ち出し姉とは好みも変わってきました
放送時間が被っているときなどはよく姉とチャンネル争いをしたのを覚えています(笑)
今思えば良い思い出です
当時はビデオも無くリアルタイムで見るしか無かったのですから
5歳の年齢差は大きく姉の影響で小学生でもませていました
ブルースリーやビートルズも姉の影響で小学生で見たり聞いたりしていましたから
 
他に思い出すのは
AKIRA
ゲンマ対戦
 
ロボットもの
ガンダム
ザブングル
ダンバイン
マクロス
ダグラム
ボトムズ
バイファム
 
アニメではありませんが特撮物では
ウルトラマン
仮面ライダー
ゴレンジャー
キカイダー
バローム1
 
大人になってから
宮崎駿
カリオストロの城
ナウシカ
紅の豚
ガンダム0083スターダストメモリー
頭文字D(深夜放送)
湾岸ミッドナイト(DVD)
 
アニメも昔は映画で手塚治虫の鉄腕アトムがテレビアニメの基礎を作ったんですね
子供の頃はアメリカアニメが多く放送されていました
ディズニーのミッキーマウス、ポパイ、チキチキマシン猛レース、トム&ジェリー等
競合は特撮物だったんです
ウルトラマン、仮面ライダー、ゴレンジャーを原点とする戦隊物、全て現在でも続いているのは面白いところです
親の世代がアニメをまんがと言っていた理由がわかりました(笑)
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